月面着陸でスピードマスターが活躍してから早40年、高機能と高精度が求められる過酷な環境に、あえてゼンマイ駆動のスペシャルウォッチで挑みます。
高度計を備えるスペシャルウォッチレビュートーメン(Revue Thommen)のエアスピード・アルティメーター。 高度計のトップブランドの同社が1998年に発表した航空時計です。視認性は抜群、センターのオレンジの気圧・高度計針がメカ好きを惹きつけます。 チタンケースは氷点下でも肌に張り付かず、軽量で腕の動きを妨げません。ブレスは、ウェンガーのベルクロ式ストラップに交換。 コース計画3泊4日のコースは、北アルプスの名峰、立山三山から剣岳、剣沢、阿曽原温泉を経由、欅平に下る総距離35キロ。標高差2,500メートル、雪渓、稜線、岩場、峡谷、温泉など、日本で最もバリエーションに富んだ山域。
【1日目】 登山装備装備は長年使っているグレゴリーのザック、スカルパのブーツ、ノースフェイスの雨具等々。 |
【地図】 黒部-室堂-立山-剣岳-欅平 |
夜行バスで朝5:30に扇沢に到着。室堂までの黒部アルペンルートの片道切符を購入し、トロリーバスの始発を待ちます。
その間、エアスピード・アルティメーターの高度計を調整。リューズを押してケース内に外気圧を満たした後、ここ扇沢の標高1420メートルのベゼル目盛りを針の位置まで合わせます。ゼンマイもフルに巻き上げておきます。
扇沢バスターミナル | 気圧850hPaが1420mになる |
堤高日本一を誇る黒部ダムを経由し、ケーブルカー、ロープウェー、トロリーバスを乗りついで、富山側の室堂に到着。
電気式のトロリーバス | 関西電力の黒部川第四発電所ダム | ダム堤上の道路 |
登山口となる室堂の標高は2450メートル。高度計は正確に高度を示しています。
室堂 |
雲ひとつない快晴に恵まれ、一の越からは遠く槍ヶ岳も望むことができました。が、林間学校の小学生であふれかえり、登山マナーが悪い引率の大人も道を譲らないため、いたるところで渋滞が発生していました。騒々しいかぎりです。
室堂から立山への登山ルート | 中継地点の一の越 | 標高3000mに建つ雄山神社 |
第一の峰、雄山(3003m)の山頂には神社があります。これからの長い路を祈願しお守りを購入。高度計はとうとう目盛り一杯の3000メートルに。
昼ごはんのカレー | 雄山の標高3003m |
雄山から先は登山客がほとんどいなくなりますが特に難しいルートでもなく、さらに素晴らしい景観が広がります。北東の方角に白馬連峰を見ながら、立山最高峰3015メートルの大汝山、富士の折立、真砂岳、別山と快適な稜線歩きが味わえました。
大汝山山頂から剣岳を望む | 真砂岳の稜線 | 常に2800m近辺の指すアルティメーター |
別山乗越まで来ると、目の前に日本屈指の険しい峰、剱岳の全貌が現れます。明治時代、未踏峰だと思われていた山頂で平安時代の鉄剣が見つかったという話は有名です。
風格のある剱岳の全貌 | 剣山荘 |
あまりにものんびり歩いていたため、本日の宿、剣山荘に急ぎます。この時期の山小屋は大混雑で、寝場所はないに等しく、隣の人の寝相にも悩まされました。しかし、新築ということもあり、完全水洗のトイレのキレイさは山小屋一だと思います。
さて、この時計の日差は1分以内(秒単位でチェックしていません)でまずまずの精度。高度計の補正も必要ないほど天候も安定、腕時計にとっても恵まれた一日でした。
北アルプスはよく行きますが、今回の剱岳は9歳の小学生の時以来。
朝、天気は曇り。エアスピード・アルティメーターのオレンジの針は時計まわりに進み、気圧が昨日より下がっていました。天気が悪くなる兆候です。高度計のベゼルを剣山荘の2475メートルに調節。
剣岳は毎年のように死亡事故が相次ぎ、一般登山道では一、二を争う危険な山です。雨になれば撤退しますが、運を天にまかせ出発。
小屋の裏から始まる登山道 | 一服剣からの前剱 | 前剱の鎖場 |
一服剣を過ぎ、浮石が多い前剣の登りも順調でした。時計は軽量なチタンケースで、岩稜登りでも重さが全く気になりません。岩にも時々ぶつけますが、分厚く頑丈なケースによってムーブメントはしっかりと守られています。
前剣頂上まであと少し、鎖場を登りつめた安全な場所で一息ついていたところ、下山してきた男性が数メートル目前で突然バランスをくずし武蔵谷側に滑落しました。2007年7月28日7時22分、高度計は2800メートル近辺を指していたと記憶しています。携帯電話で剣山荘に一報を入れていると、下の滑落地点ではベテランの登山者が遺体を確認していました。人がなすすべなく跳ねて落ちていくのを見てしまうと、平常心を保つのが難しいです。ガスで視界も悪化してきたこともあり、今回は撤退することに決めました。(事故状況については後日地元警察にも説明済み)
ガスに覆われる登山道 | えさを探す雷鳥 |
気を取り直し、剣山荘でふたたび高度計を補正し、雨の中、真砂沢ロッジへ。
日本三大雪渓のひとつ剣沢雪渓を下ります。雪渓の上部はかなり急で4本歯の軽アイゼンでは危険、夏道も雪渓に覆われていたので、しばらくは地面の出ている急斜面を慎重に下り、ゆるやかな部分から雪渓に入りました。
ガスに覆われる剣岳 | 延々と続く剣沢雪渓 |
雨も激しく降る中、深い谷の雪渓を下ること2時間、標高1750メートル地点に建つ真砂沢ロッジに到着。
ゴアテックスの雨具の中、蒸気と冷気にさらされながらも、エアスピード・アルティメーターは正確に時を刻んでいました。しかし、気圧や標高が刻々と変化する山中では、数時間おきに気圧調整をしなくてはいけません。外気がケース内に入るので、湿気の多い環境での使用には注意が必要です。
真砂沢ロッジ | 標高1750メートルを正確に表示 |
無印良品の具沢山のスープとライスをコンロで暖めて昼食。これでレトルト系の食料はなくなり荷が軽くなります。
昼に到着したこともあり更に先に進むことも検討しましたが、雨が激しくなる一方だったので、無理はせず当初の予定どおり真砂沢ロッジに宿泊。ここは、山小屋には珍しくお風呂があり、トイレもキレイ、ご主人の人柄も温かく、山上のオアシスでした。昭文社の山と高原の地図、剣・立山編を執筆されています。
なお、朝の滑落事故は、小屋の無線にひっきりなしに状況が伝えられていました。ヘリが飛ばせないため、人力による遺体の搬送は夜までかかっていたようです。
天気予報では悪天候が続くはずでしたが、翌朝は天候に恵まれました。いつ悪化するともわからないので5時半に出発。もちろん朝の高度計調整は忘れません。
黒部ダム方面との分岐 | 二股からの裏剣 |
ここから先は、5時間程度で下山できる黒部ダム方面が通常で、下山に2日かかる仙人池方面はまったく登山者がいなくなります。急流沿いの危険なルートを1時間ほど行くと二股に到着。運良く剣岳にかかっていた霧が晴れ、裏剣の絶景を見ることができました。
二股から仙人池までは標高差500メートルの過酷な急登。仙人池ヒュッテには、我が父と同じように写真家の方々が多く滞在していました。仙人池に映る裏剣はかっこうのモチーフなのです。
仙人池に向かう歩道 | 仙人池に映る剣岳 | 仙人温泉に向かう残雪残る谷 |
仙人池から仙人湯までの道は、残雪でかなり厳しい状況でした。雪渓の上を歩ければ楽なのですが、クレバスの危険もあるので、迂回ルートを探しながら、雪渓をトラバースしつつ、崩れかけた斜面を少しずつ下りました。途中、雪渓を上がってくるパーティーがいたので話を聞き、同じ足跡をたどって安全に下ることができました。
工事中の仙人温泉 | 仙人温泉の湯元の標高1550m | 雨の中の下山 |
仙人温泉から先は、時折激しい雨にみまわれました。通行禁止となった古い仙人谷コースのかわりに、黒部川に下る新しいルート雲切新道を行きます。切り開かれたばかりで滑りやすいですが、各所にハシゴやロープが設置され、安全に下れます。
3時間後、アルティメーターの高度計が700メートル分、反時計周りに回転した頃、黒部川にかかる仙人谷ダムに到着。
急流にわたされた橋 | 眼下の仙人谷ダム | 仙人谷ダムの標高870m |
道は、標識に沿って関西電力の建物の中へと続き、トンネルを抜けると職員の宿舎に出ます。
仙人谷ダム | ダム内のトンネル | 関電人見平宿舎 |
ふたたび登山道に入り、阿曽原温泉に到着したのは暗くなる直前の5時過ぎでした。温泉宿といってもプレハブ式の山小屋で、露天風呂は山道を10分下った場所にあります。まさに秘境。宿泊客は3組だけで、15畳ほどの大部屋を占有できました。
阿曽原温泉 | 10分下った場所にある露天風呂 |
夕方、ここでも滑落事故が起きていました。通行禁止の仙人谷コースに行ったパーティーの一人が岩ごと滑落して足を複雑骨折。相方の一人が阿曽原温泉に救助を求めに来たのでした。ヘリが何度も上空を行き来していましたが、結局その日は収容を断念し、救助に向かった小屋のご主人と現地でビバークしたようです。
さて、とにかくこの時計の視認性の高さは抜群。雨風の激しい登り下り中、レインウェアの袖口からチラっと覗いただけでも一瞬で時刻がわかります。ヘッドランプでの暗い中の行動でも、蓄光性の針はよく見えました。
降り続いた雨も出発の時間にはあがりました。この日は黒部川開発に使われた旧日電歩道を歩きます。深い谷の絶壁に延々と刻み込まれた13キロにもわたる水平歩道です。
岸壁にくりぬかれた道を行く登山者 | 断崖に刻まれた水平道 |
雨で滝や沢は流量を増し、水しぶきとひんやりとした空気が爽快。はるか眼下の黒部川を望みながら、スリルのある空中散歩が味わえます。
折尾谷手前の技沢 | はるか眼下の黒部川 |
折尾谷に向かう水平道 | 折尾谷のトンネル入り口 |
足場のせまい道も、鎖やロープをつたい注意深く歩行。
壁にへばりついて歩く | 延々と続く水平道 |
岩壁を掘れずに木組みされた歩道や、大きな岩をうがった切通しなど、旧日電歩道の偉業には感嘆するばかりです。
水平歩道の文字通り、高度計の針は1000メートルあたりをほとんど動きません。実際の標高1050メートルから950メートル。
断崖に細く刻まれた水平道 | 切通し |
水平歩道に歩きつかれた後に待っているのは欅平までの350メートルの急な下り。この最後の30分の下降が最も疲れました。
標高599mの欅平 |
観光客であふれる平和な欅平(けやきだいら)に到着し、ひっそりと静かな達成感に満たされたのでした。
山で使う腕時計にどれかひとつの機能を加えるとしたら。。。
それはクロノグラフでもコンパスでもなく高度計だろうと思います。ストップウォッチはまず使うことはなく、方位磁石は時計が帯磁すると方向を誤る危険があります。高度計がなくても目標物がわかりやすい日本の山ではコンパスと地図だけで自分の場所を知ることができるのですが、実際に今どれだか登ったのか、どれだけ下ったかを確認できるのは意外と楽しいものです。それも、デジタルの数字ではなく、やはり針の位置で自分の行動幅を実感できることに味があるのです。
レビュートーメンの時計はバリエーションが豊富ですが、ひとつの文字盤に時計と高度計を表示するモデルはこれだけです。ただ、時計ケース内部に外気圧を満たすというリスクがあり、もしかしたら廃版になった理由もそこにあったのかもしれません。
とはいえ、軽量でありながら堅牢、優れた視認性、シンプルな操作性、10年前とは思えない完成されたデザインバランス。手巻き式ということで毎朝必ずゼンマイを巻き、気圧補正をするという習慣を山に持ち込むことが個人的には大変面白く、またとない逸品だと思います。