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機械式時計の出現

時計の歴史(2)

機械式時計の起源

鐘楼のある村

中世ヨーロッパの人々は、教会の鐘の音で時間を知ることができました。966年、ローマ教皇シルウェステル2世(Sylvester II, Gerbert)が修道僧の時に、祈りの時間を村の人に知らせるため、教会の鐘楼に自動的に鐘を鳴らす機械を設置しました。これが、機械式時計の起源と思われます。

その後、イタリアの都市に鐘を鳴らす機械が教会や修道院、大聖堂の高い塔の上に備え付けられるようになり、文字盤を備えた時計も現れました。このため、英語の「clock」は、ラテン語の「cloccal(鐘)」に由来しているのです。

機械式時計の出現

ドンディ作、パドヴァの天文時計

Padua's first astronomical clock
circa 1344

13世紀には、ロンドンのウエストミンスター寺院やセントポール寺院に塔時計が設置されたといわれています。残念ながらその後の焼失や建て建て替え等で現物は残っていません。

現存する最も古い時計は、1344年、ヤコボ・ドンディ(Jacopo de Dondi)がパドヴァの大聖堂に設置した天文時計です。その息子ジョバンニ(Geovanni)が1364年に記した室内天文時計「アストラリオ」の設計図は、世界初の時計に関する学術書といえます。これをもとに復元された時計は、ロンドンの科学博物館、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館、ワシントンDCのスミソニアン博物館、そしてIBM社が所有しています。

初期の重錘式時計

Ancient Clock

1370年、フランス国王シャルル5世がパリの高等法院に設置させた時計はとても有名で、1時間おきと15分おきに鐘を鳴らし市民に時刻を知らせました。ドイツ人のアンリ・ド・ヴィック(Henri de Vic)が製作したもので、現在でもパリに保管されています。この頃の時計は、フランスのストラスブール(1354年)、チェコのプラハ(1410年)にも現存しています。

当時の時計はとても巨大で、本体だけで数メートル、重さは300Kg以上もありました。重りが下がる力で歯車を回転させる仕組みで、動力の重錘は数日おきに巻き上げられました。同じリズムで振れる棒テンプ(フォリオット)の回転軸(バージ)の2つの爪が、冠型の歯車の歯に交互に当たることで、一定の速度で時を刻むことができます。冠型脱進機あるいはバージ脱進機ともいわれるこの仕組みは、数百年後の19世紀の懐中時計やからくり人形にも見ることができます。

ゼンマイの発明

ヘンラインのニュルンベルクの卵

The Nuremburg Egg

1500年、ドイツのニュルンベルグの錠前職人ペーター・ヘンラインが動力ゼンマイを発明し、1510年には持ち運びのできる携帯時計を製作したといわれています。塔時計や室内時計と同じ働きをするにもかかわらず、重さ5Kgに満たない小さな時計は、貴族達の間で「ニュルンベルクの卵」として評判となりました。

実際には、1430年頃のイタリアでゼンマイ式時計の記録があり、当時のニュルンベルク製の時計がヨーロッパの一流ブランドであったことから、ヘンライン神話が生まれたと考えられています。

周辺の金属工業の発展とともに、ニュルンベルクの時計産業は発達しヨーロッパ有数の工業都市へと成長していきます。現存する最古の携帯式の時計は1530年にこの地域で製造されたもので、直径わずか4.8cmでした。ドイツ・ルネッサンス期の人文主義者、地理学者のフィリップ・メランヒトン(Philip Melanchthon)が所有していました。宗教改革者ルターの右腕としても知られている人物です。

この頃の時計は、まだまだ誤差が大きく分単位の精度がなかったため、分針がありませんでした。

宗教改革と時計産業

一方、フランス・パリでも教会の塔時計や王侯貴族相手の宝飾産業がさかんだったため、1540年に世界初の時計師のギルド(同職組合)が設立されます。ドイツのニュルンベルグでも1565年に時計師ギルドが設立され、時計師と時計産業の地位が確立されていきました。

しかし、16世紀当時、ルターやカルバンがカトリック教会の腐敗を糾弾した宗教改革がヨーロッパ中に広まっていたのです。

フランスではユグノーと呼ばれるカルバン派の人々とカトリック教会との対立が発展して、ユグノー戦争(1562-1598年)と呼ばれる内乱になりました。このため、カルバン派の中心地ジュネーブには、多くのユグノーが迫害から逃れてきました。彼らの中には時計師達も多く、この頃にスイスが後々の時計産業の中心地となる礎が築かれたのでした。

振り子時計の発明

ガリレオの考案した振り子時計

Galileo's drawing

1583年、イタリアのガリレオ・ガリレイが、振り子の等時性を発見しました。19歳の時、天井から釣り下がった灯りが、風の強さが変わっても、1往復する時間が変わらないことに気づいたのです。天文学や物理学に関心が向き偉大な業績を残したガリレオは、晩年になってようやく振子を時計の調速に応用するアイデアを考案しましたが、実現にはいたりませんでした。

ヘンラインの振り子時計

Huygens's Pendulum Clock

1656年、オランダの物理学者クリスチャン・ホイヘンスが、振り子の等時性を利用した初めての振り子時計を製作しました。翌年の6月16日にオランダ議会に設置され、時を刻むようになりました。振り子の一定の振りで歯車が一歯進むので、時計の精度は飛躍的に向上しました。ホイヘンスの最初の振り子時計は1日の誤差が数分しかなく、日差10秒以下の時計も製作されました。

その後、ヨーロッパ各地で製作されるようになった振り子時計は、実際のところ、1日10分以上の誤差が普通でした。これまでのバージ脱進機は振り子の揺れに干渉されやすく、安定性に限度があったのです。

1671年、ドイツ人ウィリアム・クレメントが、革新的な退却型脱進機を発明しました。アンクルとがんぎ車から構成されるこの脱進機は、振り子のリズムに合わせてアンクルの爪が正確にがんぎ車の回転を進めることができ、飛躍的に制度が向上しました。

懐中時計の発達

ヒゲゼンマイのテンプ

Hair Spring

振り子時計を開発したホイヘンスは、1675年、振り子の代わりとしてヒゲゼンマイ付き円テンプを考案しフランスで特許を取得しました(1664年にロンドンのロバート・フックが考案したともいわれています)。当時の最小の携帯時計は高さも厚さも10cm程度もある振り子式で、ポケットに入れて日常的に身につけるものではありませんでした。しかし、このテンプは、高精度化、小型化を実現するとともに、時計の向きや持ち運びによる揺れによる影響を受けにくいため、懐中時計が現実のものとなったのです。

1695年にトーマス・トンピオンが考案したシリンダー脱進機を、弟子のジョージ・グラハムが1727年に懐中時計に実用化します。この脱進機により、懐中時計の小型化、高精度化が進みます。1754年にはトーマス・マッジがレバー脱進機を発明。ガンギ車、アンクル、円テンプからなるこの脱進機は、現在のほとんどの腕時計、懐中時計に採用されています。

レバー脱進機とヒゲゼンマイの発明により、イギリスの時計産業は、飛躍的に発達しました。当時、宝石を使った軸受けの技術を持つイギリスは高級品の位置づけで、この技術を持たないスイスは安物のイメージがあったそうです。

組織化される時計師

当時の時計は、屋根裏の小さな工房で時計師達によりひとつひとつ手作りされていました。精密な部品を取り扱うには、直射日光の当たらない明るい自然光を取り込める北側の屋根裏が最適だったのです。屋根裏を意味するカビノチェは時計工房を指すようになり、今は優れた時計師を表す言葉になっています。

時計師は皆ギルド(同職組合)に所属し、他の職人ギルドと同様、親方(Master)、職人(Journeyman)、徒弟(Apprentice)のクラスからなる徒弟制度が行われていました。職人が親方になるために、ギルドの審査に合格した作品はマスターピースといいます。非常に優れた作品であったため、現在の傑作・名作を意味する言葉になっています。

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