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典型的なクロノグラフの外観。9時の位置の針は時計の秒針。

クロノグラフの歴史

クロノグラフとはストップウォッチ機能のある時計です。

詳しい解説は、「クロノグラフとは」、「クロノグラフのメカニズム」をみてください。

ここではクロノグラフの興味深い発達の歴史を紹介します。

ストップウォッチの発明

Rieussec's Chrono-graph

産業革命前のイギリス、時計職人ジョージ・グラハムが1720年頃に時計史上はじめてストップウォッチを考案。設計上1/16秒単位で計測できるもので、グラハムは今でもクロノグラフの父として知られています。
1821年、フランスのニコラス・マシュー・リューセックは文字盤上にペンでマーキングした弧の長さで経過時間を測定する機械を試作しました。ギリシャ語で時間"chronos"を記録する"graph"という意味の造語「クロノグラフ」と名付け、翌年特許を取得しました。 1825年には積算計を備えるクロックを開発しています。

クロノグラフの開発

1831年、ブレゲ工房のオーストリア人、ヨーゼフ・タデウス・ヴィンネルがスプリット・セコンド機能を発明、時刻表示と独立した計測や2本針のスプリットセコンド・クロノグラフの基礎となりました。1844年、スイスのアドルフ・ニコルが時計の針をゼロにリセットする機構を開発。現在でも基本パーツであるハート型カムを使っており、これがクロノグラフの起源と言われています。

エジソンが電球を発明した1879年、ロンジンが世界で初めてクロノグラフを商品化。懐中時計型の「ルグラン」です。1882年にホイヤーはクロノグラフの特許を取得し市場に本格的に参入し、1889年には世界初のスプリットセコンド・クロノグラフの懐中時計を発表します。この時計は同年のパリ万博の銀メダルを受賞しました。

オリンピックとクロノグラフ

1896年のアテネの第1回近代オリンピックで、計測に初めてロンジンのストップウォッチが採用されました。とはいえまだ公式記録は目視による1秒単位のものでした。1916年、ホイヤーは1/100秒単位の計測を可能にしたストップウォッチ「マイクログラフ」を開発し、この技術により、1920年のアントワープのオリンピックで公式計時を担当しました。そして、この大会から機械による1/5秒単位のタイムが公式に記録されるようになりました。1932年ロサンゼルス大会ではオメガが公式計時を担当し1/10秒単位にまで進歩しました。

戦争によるクロノグラフの進化

Breitling Navitimer

1915年、ブライトリングが世界初の腕時計クロノグラフ「30分タイマー」を発表。当時は第一次世界大戦真っ只中で腕時計の需要が高まり、時計の技術が急速に発達しました。傑作ムーブメント、バルジュー23が開発されたのもこの頃です。1934年、ブライトリングから今日の典型的なデザインである2つのプッシュボタン式のクロノグラフ「プルミエ」が発表されました。バルジュー、ビーナス、レマニア等のムーブメント会社も競って大量生産する時代となりました。

1940年代に第二次世界大戦が始まり、航空機の発達に合わせてクロノグラフも進化していきました。1942年、ブライトリングから速度や燃料消費等の計算ができる回転式の計算目盛を装備した「クロノマット」が発表され、1952年には航空用時計「ナビタイマー」が発表されました。ムーブメントには傑作ビーナス178が搭載されていました。

戦後、1957年にはアポロ計画に採用されるオメガの「スピードマスター」が誕生。レマニアの開発した耐久性の高いムーブメント、キャリバー321(2310)を搭載していました。1963年にはバルジュー23系の72をベースにしたロレックスの「デイトナ」が登場。これらは現在でもアンティーク市場で最も人気の高いモデルです。

自動巻きクロノグラフの誕生

Chrono-matic (Cal.11)

SEIKO Cal.6139)

自動巻き腕時計は1930年代から一般に広まっていたにもかかわらず、自動巻きのクロノグラフはなかなか実用化されませんでした。1947年にレマニアが試作しましたが、戦後のクロノグラフの需要が縮小していく中で開発は中止されました。

20年後の1969年の3月3日、世界初の自動巻きクロノグラフが発表されました。ブライトリング、ホイヤー・レオニダス、ハミルトン・ビューレン、デゥボア・デプラの共同開発で、ビューレンの薄型2針時計用の自動巻きムーブメントの上に、デゥボア・デプラのクロノグラフモジュールを重ね合わせたものでした。これが「クロノマチック」と呼ばれたキャリバー11です。時計用の秒針がなく、リューズが左側の9時の位置にあるのが特徴です。小さいローターのため自動巻き上げ能力が不十分でした。

Zenith El Primero

同年5月、セイコーが垂直クラッチ(摩擦車)を採用する独自の自動巻きクロノグラフ、キャリバー6139を開発しましたが、残念なことに大きく取り上げられることはありませんでした。

クロノマチックに遅れること半年の9月、ゼニスが傘下のモバードと共同で、驚異的なスペックを持つ自動巻きクロノグラフの一体型ムーブメント3019PHCを発表。0.1秒を計測できるスピードと精度向上のために、他に類を見ない毎時36,000振動を実現。高振動に対応した耐久性のある歯車や潤滑油、よりパワーを必要とするゼンマイや巻上げ機構も専用開発されました。このムーブメントを搭載した時計はスペイン語でNo.1を意味する「エル・プリメロ」と名付けられました。

クオーツショックからの復活

スイスの時計業界が最盛期を迎えたこの頃、スイスのニューシャテル天文台の時計コンクールでは、セイコーのクォーツ式時計が上位を独占していました。奇しくも自動巻きクロノグラフが登場した1969年の年末、セイコーからクォーツ腕時計「アストロン」が発売され、大量生産とコストダウンでクォーツ時計は世の中に急速に広まり、スイスの時計業界は相次ぐ倒産や整理統合等で、大幅に衰退してしまいました。

Valjoux 7750

各ムーブメント会社は、エボーシュSAという連合形態からETA社という巨大企業として統合される中で、大量生産に向いた新しいクロノグラフを開発しました。中でも統合前のバルジューが1973年に開発した7750はベースムーブメントとして拡張性、汎用性に非常に優れていました。

80年代になり機械式時計が再び注目され、スイスの時計メーカーは続々と復活していきます。多くの有名メーカーのクロノグラフにETAバルジューの7750が採用されます。1988年、高級ムーブメントメーカーのフレデリックピゲが開発した自動巻きクロノグラフは、従来厚みの出る垂直クラッチ方式のクロノグラフを、工作技術の革新により直径26mm、厚さ5.4mmのサイズに収めることに成功し、このキャリバー1185はブランパンなどの高級ブランドに採用されました。

こうした汎用クロノグラフの大量生産が可能になり、スイス時計ブランドのクロノグラフ製造も容易になっていきました。

21世紀のクロノグラフ

1998年、セイコーは満を持して新型の自動巻きクロノグラフを開発。しかし、生産性とメンテナンス性を重視した旧来のスイングピニオン方式を採用していました。

一方、スイスではアメリカ資本の新しいムーブメント会社プログレスウォッチが設立されます。トゥールビヨンや自動巻きクロノグラフcal.154を次々と開発しましたが、経営が軌道に乗る前に倒産してしまいます。しかし、スウォッチグループやヴァンドーム(現リシュモン)などの大型資本グループをバックに、古のマニュファクチュール(自社ムーブメントを使う一貫生産の時計メーカー)が復活し、独自のクロノグラフを開発するようになります。大手資本やブランドに属さない独立時計師達も複雑機構をもったユニークピースのクロノグラフを製作するようになり、新たな時代の幕開けをむかえました。

21世紀になると、ロレックスが完全自社開発の自動巻きクロノグラフを搭載したデイトナを発表します。古典的な設計のゼニス製ムーブメントから脱却し、計測精度の高い垂直クラッチを採用していました。この後、スイス大手メゾンは続々とムーブメントを開発していきます。2005年には、フランク・ミュラー、ジャガー・ルクルトが、2006年にはパテック・フィリップがオリジナルの自動巻きクロノグラフを発表します。どれもトレンドの垂直クラッチ方式を採用していました。そんな中、モーリス・ラクロアはあえて古典的な設計の手巻きクロノグラフを自社開発することで、独自性を出してきました。


2005年、世界一の汎用ムーブメントメーカーETAはムーブメントの供給を縮小していくことを発表し、大手メゾンによるムーブメント開発に拍車がかかることが予測されます。倒産したプログレスウォッチは新生STT(Swiss Time Technology SA)として既にムーブメントの製造を再開しています。クォーツ専門メーカーSFTや、ドイツと中国の合弁会社エメスも機械式エボーシュの開発に着手しています。新たなエボーシュメーカーも台頭してくるかもしれません。

今後もますます新たなクロノグラフの誕生が期待できることでしょう。